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Japanese Queue

Pearly_Bean1
439 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"初めまして、アインと申します。日本語学部の学生です。五年前から日本語でアニメを見られるようになりたかったので日本語の勉強を始めました。同時にVOV2 ラジオチャネルでやさしい日本語という番組は偶然に知っていました。VOV2放送局に連絡してやさしい日本語の教科書をもらいました。それからラジオで簡単な会話を聞いたりアニメの歌を聞いて歌詞を書き写したりしました。日本語を勉強している5年間に毎日日本語に集中しませんでした。アニメに飽きたときもあったです。新しい趣味があると日本語の勉強も中止でした。でも結局また続きます。 私にとって一番好きで一番ありがたい教科書はドラえもんです。子供っぽくて信じられないと思われるかもしれないが事実です。面白くて集中しやすいし、自然な表現や単語など色々覚えました。たまにアニメから覚えた言葉を使って日本人の友達にも褒められました。かっこいいってうれしいです。 日本語の勉強はまだまだです。勉強の方法はよく改善するべきだと思います。もっとがんばります。"
lachlan
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"はじめまして。 なまえ は レイチェル・チャン です。 にじゅうにさい です。 オーストラリアじん です。 しゅっしん は ケアンズ …"
Pearly
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"For the Japanese text, please open the Instagram link as below: https://www.instagram.com/p/CZY0hswJIa9/ …"
arnaldosfjunior
2035 Characters / 0 Recordings / 0 Comments
"卒業及び脱退メンバー [編集] 卒業・脱退メンバーの詳細な経緯については卒業・脱退メンバーの一覧の節や各個人の項目を参照 モーニング娘。では、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに伝えている。福田から市井までは脱退と公式に発表されてきたが、負のイメージを連想させない卒業という言い方を中澤の離脱時から使用するようになった。 モーニング娘。の「卒業」または「脱退」は芸能活動を停止するか、ソロまたはグループとしてそのままハロプロに在籍して芸能活動を継続することが主流となっていた。2009年のハロプロ再編以降はハロプロから離れつつも同事務所および系列事務所に所属し、芸能活動を続ける者も多い。 卒業(脱退)の発表は、後藤以前は1〜2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口と藤本を除き卒業の半年〜1年前になった。そして、紺野・小川・吉澤は3 - 4か月前、久住は2か月半前と、それまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは、卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻と加護のみであるが、それ以外にも時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴、亀井絵里とジュンジュンとリンリン)。 「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、ワイドショー番組や『ASAYAN』などにおいて大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にしてきた。 「卒業」と「脱退」の使い分け [編集] 「卒業」または「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されている『ASAYAN』公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている[1])、2001年以降公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口の場合は、写真週刊誌『FRIDAY』において小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている[2](ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本も後に夫となるお笑いコンビ・品川庄司の庄司智春との交際が同じく『FRIDAY』にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。 …"
JSG58
Incomplete
HwvwH
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"この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。 明治中期以降アメリカ合衆国で出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。 また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く禁書の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまうことが慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。 浮世から何里あらうか山桜 常朝 白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集] 葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。 しかし山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述がほとんどである。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。 戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。 戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学の三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学の隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。"
Enmascarado
396 Characters / 1 Recordings / 0 Comments
"1. A:あそこに 喫茶店が ありますね。 B:ええ。 A:その となりに しろい たてものが ありますね。あれは なんですか。 B:郵便局です。 …"
lingualdude
169 Characters / 1 Recordings / 0 Comments
"日本語は易しくもないし、難し過ぎる事もないので、嫌いじゃありません。でも、もっと私は日本語を勉強したい。私は毎日、日本語を勉強してます。日本語を習おうために、フラーシュカードと教科書を読んでみます。最近、私はいつも忙しかったです。だから、(英語学習の)時間が取りにくいです。日本語を勉強しています。でも、もっと時間が欲しい。仕方がないね〜"
MilkyBlue
2246 Characters / 2 Recordings / 1 Comments
"私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。 どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使い込んであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何枚もあって白いタイルがぴかぴか輝く。 ものすごく汚い台所だって、たまらなく好きだ。 床に野菜くずが散らかっていて、スリッパの裏が真っ黒になるくらい汚いそこは、異様に広いといい。ひと冬軽く越せるような食料が並ぶ巨大な冷蔵庫がそびえ立ち、その銀の扉に私はもたれかかる。油が飛び散ったガス台や、さびのついた包丁からふと目を上げると、窓の外には淋(さび)しく星が光る。 私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、ほんの少しましな思想だと思う。 本当に疲れ果てた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。ひとり寒いところでも、誰かがいてあたたかいところでも、私はおびえずにちゃんと見つめたい。台所なら、いいなと思う。 田辺家に拾われる前は、毎日台所で眠っていた。 どこにいてもなんだか寝苦しいので、部屋からどんどん楽なほうへと流れていったら、冷蔵庫のわきがいちばんよく眠れることに、ある夜明け気づいた。 私、桜井みかげの両親は、そろって若死にしている。そこで祖父母が私を育ててくれた。中学校へ上がる頃、祖父が死んだ。そして祖母と二人でずっとやってきたのだ。 先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした。 家族という、確かにあったものが年月の中でひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、ふと思い出すと目の前にあるものがすべて、うそに見えてくる。生まれ育った部屋で、こんなにちゃんと時間が過ぎて、私だけがいるなんて、驚きだ。 まるでSFだ。宇宙の闇だ。 …"
lexingtonstar22
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"彼は一度も海外へ行くことなく、独力で英語を勉強し、NHKテレビ英会話の上級講師となる。 その後、彼は「国際ディベート学会」を創立し、ディベートの普及に努める。現在彼は、ホノルル大学教授、国際ディベート学会会長。英語は格闘技である~一度も海外へ行くことなくNHKテレビの英会話上級講師になった男~ 私にとっての英語は、宮本武蔵にとっての剣と同じ 松本さんが英語に興味を持ったのは小学生の頃だった。当時流行っていたベッタン(ひっくり返して遊ぶカード。関東ではメンコという)の中に時々書いてある英語を見て、「全然違う文化に興味を持った」という。中学に入り、彼はやっと英語が学べると喜んだのもつかの間だった・ 2年生になって文法が始まった途端、彼は落ちこぼれた。 3年生で多少持ち直したものの、高校でネイティブの教師が入ると、彼は再び挫折した。彼は、ネイティブの言っていることが、まるで理解できなかった。頭の悪さを、彼は体力ではね返そうというわけだ。しかし、彼は、何か学問的素養を身に付けたいという欲求も、一方で消えることはなかった。ある時、柔道の稽古をしていた松本さんの脳裏に、突然、アイデアがひらめいた。 「そうだ、英語を格闘技として、武道として学べばいいんだ。宮本武蔵が剣を学んだように、俺は英語を学ぼう」 こうして、彼独特の英会話勉強法が始まる。ネイティブ教師の発音や、ラジオのFENから流れてくる英語を、彼はそのままひらがなとカタカナでノートに表記し、片っ端から覚えていくのだ。和製発音記号である。例えば、「アメリカン・ヒット・パレード」なら、「ムリカン・ヒッパレ」 「トップ・トゥエンティ」なら、「タップ・トエニ」といった具合。意味の分からないものも、彼はとにかく、そのまま書いた。例えば、「ササマブリ」などはまるで意味が分からなかった。) 後に、「ソフト・サマー・ブリーズ」だと判明した。 ヤクザに殺されかけたことも ユニークな勉強法はそれだけではない。松本さんは、英語を格闘技と同じく勝ち負けでとらえ、闘いを挑んでいったのだ闘いのリングはどこでもよかった。「例えば、百貨店に行ったとします。そこで、外国人(ハワイ人)になりきるんです。自分はハワイ人で、周りにいる日本人はすべて自分にとって外国人だと信じ込む。そして、英語だけを話す。そうすると、受付の女の子がオロオロしだします。そして、外国滞在経験のあるネイティブ級の社員が出てくる。ここでバレたら負けなんです。ネイティブ級の社員をだませてこそ、私の勝ちです。まさに真剣勝負ですよ。勝負に勝つために、常にポケットには外貨を忍ばせていました。フラダンスも習って日頃からハワイ人になりきっていました」 …"