長い記事だと分かっているが暇があったら
彼は一度も海外へ行くことなく、独力で英語を勉強し、NHKテレビ英会話の上級講師となる。
その後、彼は「国際ディベート学会」を創立し、ディベートの普及に努める。現在彼は、ホノルル大学教授、国際ディベート学会会長。英語は格闘技である~一度も海外へ行くことなくNHKテレビの英会話上級講師になった男~
私にとっての英語は、宮本武蔵にとっての剣と同じ
松本さんが英語に興味を持ったのは小学生の頃だった。当時流行っていたベッタン(ひっくり返して遊ぶカード。関東ではメンコという)の中に時々書いてある英語を見て、「全然違う文化に興味を持った」という。中学に入り、彼はやっと英語が学べると喜んだのもつかの間だった・
2年生になって文法が始まった途端、彼は落ちこぼれた。
3年生で多少持ち直したものの、高校でネイティブの教師が入ると、彼は再び挫折した。彼は、ネイティブの言っていることが、まるで理解できなかった。頭の悪さを、彼は体力ではね返そうというわけだ。しかし、彼は、何か学問的素養を身に付けたいという欲求も、一方で消えることはなかった。ある時、柔道の稽古をしていた松本さんの脳裏に、突然、アイデアがひらめいた。
「そうだ、英語を格闘技として、武道として学べばいいんだ。宮本武蔵が剣を学んだように、俺は英語を学ぼう」
こうして、彼独特の英会話勉強法が始まる。ネイティブ教師の発音や、ラジオのFENから流れてくる英語を、彼はそのままひらがなとカタカナでノートに表記し、片っ端から覚えていくのだ。和製発音記号である。例えば、「アメリカン・ヒット・パレード」なら、「ムリカン・ヒッパレ」
「トップ・トゥエンティ」なら、「タップ・トエニ」といった具合。意味の分からないものも、彼はとにかく、そのまま書いた。例えば、「ササマブリ」などはまるで意味が分からなかった。)
後に、「ソフト・サマー・ブリーズ」だと判明した。
ヤクザに殺されかけたことも
ユニークな勉強法はそれだけではない。松本さんは、英語を格闘技と同じく勝ち負けでとらえ、闘いを挑んでいったのだ闘いのリングはどこでもよかった。「例えば、百貨店に行ったとします。そこで、外国人(ハワイ人)になりきるんです。自分はハワイ人で、周りにいる日本人はすべて自分にとって外国人だと信じ込む。そして、英語だけを話す。そうすると、受付の女の子がオロオロしだします。そして、外国滞在経験のあるネイティブ級の社員が出てくる。ここでバレたら負けなんです。ネイティブ級の社員をだませてこそ、私の勝ちです。まさに真剣勝負ですよ。勝負に勝つために、常にポケットには外貨を忍ばせていました。フラダンスも習って日頃からハワイ人になりきっていました」
当時、英語に興味のある友人たちはみんな外国へ出て行った。お金がなく、海外留学できない松本さんは、この方法で生きた英語を学んでいった。「柔道では、小が大を倒す。不利な状況だからこそ、逆に強くなれると信じていました実際、海外で学ぶよりも、よっぽど大変でしたよ」確かに、よほどの度胸がなければこんな方法は取れない。実際、彼は命の危険にさらされたこともある。「ある日、バーで飲んでいました。私がハワイ人だと知ると、店の女の子がみんな私に寄ってきて、ハワイのことを質問しだしました。別のテーブルに座っていたヤクザは、女の子を取られて不機嫌になり、私のところへやって来ました。彼は、『何がハワイ人や。日本人やないか!』と言って、私に酒をぶっかけました。まずい、と思いましたが、ここでビビッて『ごめんなさい』と言ったら、私の負けです。たとえ相手がヤクザでも、あくまで英語で通し、『アポロジャイズ!』と大声で相手に謝罪を求めました。日本人だとバレたら殺されるという覚悟でした。結局、彼は『ほんまに外国人や』と言いました。最後は、ヤクザや店の人と握手して別れました。帰り道、黙って歩き続けましたが、しばらくして急に笑いが込み上げてきて、腹を抱えて笑い転げました。その瞬間、冷や汗がダーッとあふれ出ました」松本さんは、「武道の精神でやってきたからこそ、ここまで来れたのだと思う」と述懐する。「外国にも行かずにNHKの講師になったのはすごいといわれます。ここまで体を張ってやれば誰でもできると思います。私の場合、子どもの頃家庭環境に恵まれず、コンプレックスだらけだったけれど、かえってそれが良かったんだと今は思えます。恵まれた環境にいたら、きっとここまでは来れなかったと思います」
英語の松本からディベートの松本へ
松本さんは、NHKテレビ英会話の上級講師として、“英語の松本”の名を欲しいままにしていた。しかし、ある日、突然、英語教育の世界から撤退する。彼は「国際ディベート学会」を創設して、デイベートの世界へ身を投じていった。そこには何があったのか?「英単語をより多く覚えることと、国際感覚を身に付けるということは全く別なんだと気付いたんです。日本人は資格好きです。英検1級を取ることが国際人になることだと思っています。私は、英検1級こそ、国際コミュニケーションで過ちを犯す一番危ない時期だと思うんです。単語の数とコミュニケーション能力は関係ありません。例えば、日本人はディベートよりも、スピーチとスマイルを好みます。この態度は国際コミュニケーションでは通用しない。ニューヨークではスマイルで近づいてくる人は気を付けた方がいいですよ。また、日本では、何事も「なぜ?」と聞いてはいけない雰囲気があります。聞くと嫌われてしまいます。「なぜ?」は日本では攻撃と受け取られるからです。「なぜ?」と聞かずに、相手の気持ちを察するのが日本文化です。でも、『察しの文化』では国際コミュニケーションはうまくいきません。それは結論を言いません。)
例えば、日本語で『電話が鳴ってるよ』と言われたら、『電話を取れ』という意味だと日本人は察知します。『窓開いてるよ』は『窓を閉めろ』です。)
でも、英語で『電話鳴ってるよ』といわれても、アメリカ人は『はい』で終わってしまう。また、日本の男性はディベートをしない女を求めます。日本人は、議論している夫婦を見て仲が悪いと考える逆に欧米人は黙っている日本の夫婦を見て、離婚寸前だと考えます。価値観が違うんです。そこからミス・コミュニケーションが始まります。私は、日本人が最も苦手な、『why - because』の思考方法を鍛えるために、是非ディベートが必要だと思ったのです。ディベートは結論が先にあるから、“曖昧さ”や“察しの文化”が入り込む余地がないからです」
松本さんは、これからの日本にはディベートが必要だと力説する。「これから日本の教育システムは崩れていくでしょう。小学校には、酒鬼薔薇(神戸小学生殺人事件を犯した14歳少年)の予備軍がいっぱいいます。体罰が禁止されているから、中学生がナイフを持って登校しようが、猫を惨殺しようが、教師はどうすることもできない。もう日本の義務教育は事実上崩壊しているんです。これからは、教科書の内容を丸暗記させる詰め込み教育をやめ、ディベートによって生徒自らが主体的に悩み考えるような教育に移行すべきです。こう言うと、日本にディベートは似合わないと反発する方がいます。ですが、実は、明治維新の頃、薩摩(鹿児島県)において、郷中教育というディベート教育が行われていたんです。“詮議”と呼ばれていましたが、今でいうディベートです。例えば、こんな設問が出ます。『船で遭難した時、ある人に助けられた。しかし、その人物は父のかたきだった。あなたならどうする?』それに対してイエス・ノーに分かれて詮議するわけです。今なら、『学校にナイフを持ち込むのは許されるか』や『神戸の殺人事件をどう考えるか』といった設問です。生徒自身に考えさせ、答えを出させるのです。違う価値観が衝突することによって、そこから緊張が生れ、新しいものが創造される。でも、日本人は緊張を隠そう隠そうとします。だから新しいものが生まれない。ディベートによって価値観を衝突させ、新しいものを創造していく。私はそれをやっていきたいと思っています」
“英語の松本”と呼ばれた頃の松本さんは、著書もベストセラーになるなど、かなりの収入を得ていた。“ディベートの松本”になってからは収入も何分の1かに落ち込んだという。英語教育に比べ、ディベートはお金にならないのだ。だが、松本さんには、本当の国際人を育てているという自負がある。
「ディベートができなければ、日本はいずれ困ることになる。私は、自分のためだけでなく、日本のためにこの仕事をやっているんです」
“ディベートの松本”の挑戦はこれからも続く。
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You must divide it into a few parts.